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読書と映画

読んだ本、見た映画について感想を書いています。
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【書籍:ルポ】 昭和十七年の夏 幻の甲子園 -戦時下の球児たち

【評価】★★☆☆☆

maboroshi_koshien.jpg
著者:早坂隆
出版:文藝春秋




【幻の甲子園】


昭和17年、戦時中、文科省主催で行われた高校(当時は中学)野球大会の実情を描いた作品。
夏の甲子園大会は、朝日新聞社が主催となり、夏の風物詩ですが、戦時中は、大会の開催は国の命令により中止されていましたが、戦時中、1度だけ、国の主催で開かれたのが、昭和17年の大会。

ただし、主催が国であったということもあり、戦前、戦後と行われてきた甲子園大会とは別と言う扱いとされ、大会が開かれながら、本大会は甲子園大会とは位置付けられていないという、本書のタイトルで言うところの「幻の甲子園」となっています。



【軍国主義の色の強い大会】


本書は、戦時中の軍国主義的な色彩の強い大会の実情、運営が描かれていて、興味深いところです。
なにせ、「投球を避けるのは禁止。なぜなら、突撃精神に反するから」というルールが配られる、異様な状況。
戦時中の日本は、いろいろおかしなことが多かったことは知りつつも、こんなバカげたルールを押し付けようとする政府は一体何を考えているんだろうと、あきれるばかり。

他にも、「選手をベンチの控え選手と交代するのは禁止。敢闘精神に反するから。怪我をして身動きできない場合のみ例外とする。」なんていうムチャなルールもあったりして、いやはや全く・・・。

そんな風潮を反映してか、試合中、左手を骨折したため、左手を包帯で吊るしながら投球する投手や、午前中、試合を行った後、昼休みを挟んで次の試合が行われるという無茶な試合スケジュールが設定されたり、そういったスケジュールについて、新聞も「一見、連続して試合をするチームは不利に思われるが、それは浅はかな考え。強い精神力をもって臨めば、そんなことは関係なく、むしろ、強靭な精神力を発揮する絶好のチャンス」といったように、擁護の論調であったり、そりゃあ、戦争にも負けるよなと思えるような、雰囲気です。



【スポーツ新聞的な内容】


本書は、そんな軍国主義的色彩の強い大会で奮闘する各選手の状況、大会後、それらの選手がたどった運命が描かれており、大会後、戦場に散った者、戦後を生き延び野球界で活躍した者など、少しの差で、運命が大きく変わっていく、そんなことを感じさせます。

一方で、著者は、非常に野球が好きなのでしょう、一つ一つの試合の経過を克明に描いています。
正直、野球に関心のない私としては、スポーツ新聞の記事を読んでいるようで、あまり入り込めなかったのも事実。
著者によっては、スポーツに関心のない人が読んでも、面白く、そのスポーツの様子を描ける人もいれば(海老沢泰久さんなんかは好例だと思います)、本書の著者のように、そのスポーツが好きな人向けの表現というタイプもおり、本書は、野球に関心がないと、あまり面白くはないかもしれません。

その意味では、本書の大半が興味の薄い内容でしたが、戦時中、甲子園大会が開かれていたことや、その軍国主義的色彩の強さを知るには、非常に興味深さを感じたのでした。


【『幻の甲子園』より】
 
大会前には、主催者側から「選士注意事項」なる書類が各校に配られた。それによると、「打者は投手の投球をよけてはならない」とある。「突撃精神に反することはいけない」ということであった。
 
(書き出し)
徳島商業野球部監督の稲原幸雄は、部員たちから「鬼」と恐れられた熱血漢である。
 
(結び)
それは、本当は百一回目の夏の声である。
 

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[ 2017/11/10 00:00 ] スポーツ | TrackBack(0) | Comment(0)

【書籍:登山家伝記】 孤高の人

【評価】★★★★★

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著者:新田次郎
出版:新潮社



【コミュ障の登山家】


「本の雑誌」の特集記事を読んで知った作品で、戦前の登山家・加藤文太郎の生涯を描かれています。

「孤高の人」というタイトルのとおり、まさに、他人を寄せ付けない一人が大好きにも関わらず、人との関わりがないことに寂しさを感じたりもするキャラクター。
今でいうところの、「コミュ障」でしょうか(笑)。

人との距離の測り方が分からないというタイプで、本書を読むと、共感を覚える人も多いかもしれません。



【働き方改革の先駆者】


ただ、こういう風に他人を寄せ付けず、我が道を行くタイプが、得てして大記録を樹立したり、凡人にはなし得ぬなにかを遂げるというこが往々にしてあり、加藤文太郎もそんなタイプだったようです。

今までは、非常識、不可能と思われていた日本各地の冬山に単独踏破に成功しますが、加藤文太郎は、造船所の技師の仕事があり、もっぱら休日や有給休暇を利用しての登山なのですから、恐れ入ります。

現在、日本では働き方改革が提唱されていますが、加藤文太郎、戦前という時代から、有給休暇を完全に消化しつつも、その分、仕事はきっちりとやっていたため、会社からの理解や応援もあったようで、先駆者というのはいるものですね。



【初のパーティー登山で遭難】


圧倒的な脚力、体力で数々の冬山を単独踏破した加藤文太郎ですが、若くして、30歳という年齢で、冬山で遭難死する最期を遂げます。
実は、本書では、冒頭で加藤文太郎が30歳という年齢で遭難死することが明らかにされており、しかも、その遭難死は、初めてパーティーを組んで臨んだ登山において発生したものであることも明らかにされています。

つまりは、単独登山では自身の判断のみで行動できたところが、パーティーを組めば、組んだ相手に判断を委ねたり、単独行とは違った難しさがあり、それが原因で遭難死するに至ったのではないかと推測されるわけです。

本書の最後は、加藤文太郎が、パーティーを組んで冬山登山に臨むかどうか逡巡し、そして、冬山登山の最中に、自己の判断ではなく相手に判断を委ね、それに不安を感じつつも、なんとかその不安を払しょくしようとしたりといった心情・姿が克明に描かれます。

加藤文太郎と仲間は遭難し、帰らぬ人となったため、登山の様子は著者の推測と想像によるものなのでしょうが、読んでいる側としては、加藤文太郎の行き着く先が分かっているだけに、読みながらやきもきさせられたり、「なぜ、そこで止めないんだ」と声をかけたくなったり、非常にハラハラさせられながらも、読まずにはいられない展開でした。



【結婚後の変わりようが・・・(笑)】


本書は、加藤文太郎という登山家の類まれなる短い生涯を描いていますが、加藤文太郎と関わりを持つ人々の運命も、加藤文太郎の生涯に花を添えるようで(この辺りは著者の創作の範囲内と思いますが)、読みごたえがありました。

多少、男女の関係やら結婚への認識などは、時代がかっていて、古臭さを感じる部分もありましたが、一昔前の小説のようで(まぁ、実際、一昔前の小説ではありますが)、原題とは違う面白さもありました。

しかし、加藤文太郎が結婚した後の変わりようといったら(笑)。
ここまで人間が変わる人も、そういないのではないでしょうか。
「結婚したら丸くなったよ」なんていう言葉は耳にしますが、その典型的な事例ですな。

結婚後の変わりようから、一気に遭難まで突っ走ることになるので、その落差にぐっとくるところがありました。

こういう本を読むと、まだまだ私が知らない異才・奇才を持った人物が数多くいるなぁと感慨させられるのでした。


【『孤高の人』より】
 
山登りをする理由は簡単じゃないですか、それは汗を流すためなんです。
 
(書き出し)
雪がちらついているのに意外なほど遠くがよく見えた。
 
(結び)
加藤文太郎の遺体が天上沢第三吊橋付近で発見され、さらにその上流で宮村健の遺体が発見されたのは、その年の四月に入ってからであった。
 



[ 2017/06/08 00:00 ] スポーツ | TrackBack(0) | Comment(0)

【書籍:スポーツ小説】 タッチ、タッチ、ダウン

【評価】★★★★☆

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著者:山際淳司
出版:角川文庫




【山際さんには珍しい(?)スポーツ小説】


山際淳司さんによる、アメフトを題材にしたスポーツ小説。
山際さんと言えば、「江夏の21球」や「スローカーブをもう1球」など、スポーツノンフィクション、スポーツエッセイを書く人という印象が強かったので、小説も書いていたということは、新鮮でした。

しかも題材は、アメフト。
アメフトは、アメリカ映画を結構見ているので(このブログで取りあげたアメフト映画は15本)、なんとなく馴染みはあるものの、やはりアメリカのスポーツという印象が強いわけですが、本作は、日本の、しかも30歳を超えた主人公による社会人アメフトチームがテーマとなっています。

色々と意外な設定で、非常に新鮮さを感じるのでした。



【なにせ、2,3日まえに聞いた話ですから】


主人公の岸本勇二は、銀行マンだったものの、仕事のトラブルで上司を殴って退職に。
それが吹っ切れるきっかけになり、社会人アメフトチームに本気で打ち込もうと思うようになります。

銀行を上司を殴って退社、タクシー運転手に転職し、妻からは愛想を尽かされるも、日常のトラブルは投げ打って、学生時代から熱中していたアメフトに人生を賭けて打ち込むというストーリーは、真面目に考えると、社会人としては、かなり深刻な事態が描かれていますが、軽妙で明るいタッチな描写によって、希望に満ちた話へと昇華しています。

主人公が、アメフトに打ち込む決意を決めたことについて、妻に説明する場面があり、「アメリカのボートのコーチが、『人生にはやるべきことは多い、でもやっておかないとあとで後悔することはそういくつもない』と言っているんだが、俺にとって、それはアメフトなんだよな」と話し、妻が、「そんな言葉、初めて聞いたわ」との返事に、「あぁ、俺だって初めて聞いたよ。2,3日前に読んだ本に書いてあったんだから」なんて答えるくだりは、その軽いノリに笑いが込み上げてしまいました。
自分の決意を、こういう軽いタッチで言えるような男になってみたいものです。



【適度な距離感の仲間を集めてチーム結成】


その後、主人公は、新たに社会人チームの結成を決意し、学生時代や社会人になってから一緒にプレイしてきた仲間に声をかけチームを結成していく流れとなります。
集まる仲間も、アメフトを通じて、適度に良い距離感でつながっているメンバーで、非常に居心地の良い仲間が集まっている感じは、非常に楽しそう。

現実には、スポーツの仲間というと、体育会系という名の、粘着な人間関係が強いのではないかと思うわけですが、本書では、体育会系の陰湿な面はなく、良質な爽やかな人間関係で描かれており、ちょっと理想に過ぎる面もありますが、読んでいて気持ちよくなる部分です。



【まさかのサウスポースイッチ】


クライマックスは、主人公の結成したチームが、かつての学生アメフトの名選手ウディ・マクリーン率いる、アメリカ海軍のアメフトチームと戦う場面となります。

マクリーンは、アメリカの学生アメフトで伝説的なプレイを数々行い、プロでの活躍を期待されるも、なぜかプロ入りせずに、アメフトの舞台から消え去っていたという設定です。
そして、なぜプロ入りしなかったのかという謎(読んでいると、おおよそ推測がついてしまう程度の謎ですが)が、主人公のチームとの戦いの中で明らかになっていく仕掛けも、マクリーンがプロ入りしなかった(できなかった)不遇を際立たせ、少しだけ哀愁を感じさせます。

種明かしすると、肩のけがでプロ入りを断念したんですけどね(まぁ、現実的にもありそうな設定ではあります)。

学生時代のマクリーンの神業プレイは、超ロングパス。
主人公チームとの戦いでは、マクリーンは、得意技の超ロングパスを一切発動せず、主人公は、自分たちのプレイがマクリーンの超ロングパスの発動を抑えているのだと喜び勇みつつも、いつ、マクリーンの神業プレイが発動するか、期待とおそれを抱きながら試合を進めることになります。

読んでいる側は、「いやいや、マクリーン、肩の故障でロングパスが投げられないんだよね」と思う節はありますが、それは岡目八目というもの(というよりは、山際さんが、ちょっとネタばらしし過ぎな書き方をしているのが要因!?)。

しかし、試合の最後の最後で、ついに超ロングパスを放つのですが、利き腕の右手ではなく、左手を使うという意表をつく行動で実行。
ボクシング漫画「はじめの一歩」で、主人公の一歩が試合で絶体絶命のピンチに立たされ、苦肉の策でサウスポーにスイッチして試合に勝利するなんていう話がありましたが、そんなことを思い出す展開でした。

マクリーンのサウスポースイッチは、右肩を故障して選手生命を終わらせたマクリーンだが、サウスポーの選手として新たに蘇ったんだという、爽やかな評価で結末へと結びつくこととなります。

全体的には、軽く爽やかなタッチのスポーツ小説であり、元気が出る作品なのでした。



【『タッチ、タッチ、ダウン』より】
 
ユニフォームが違えばすべて敵だった。そして、敵は倒すべきものだという単純な図式の中でプレイしていたのだ。
じつはそんな単純なことではないと気づくときがやがてやってくる。同じユニフォームを着ているなかにも敵はいる。
 
(書き出し)
右へ向かって歩きだすのも、左へ行くのも自由だった。
 
(結び)
「次はどこを倒すか」
ドラマはまだ始まったばかりじゃないか、と勇二は心のなかでつぶやいていた。
 


[ 2017/05/15 00:00 ] スポーツ | TrackBack(0) | Comment(0)

【書籍:スポーツ】 ボックス!

【評価】★★★☆☆

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著者:百田尚樹
出版:講談社文庫


高校のボクシング部を舞台にした小説。
主人公は、運動音痴な優等生・木樽と、木樽の幼馴染で同じ高校に通うボクシングの天賦の才を持った鏑木の二人。

中学時代のいじめをきっかけに、ボクシング部に入部し、素直な性格と練習熱心な努力家という素質により、木樽がボクシングの才に目覚めていくというストーリーと、天才であるが故に努力を嫌い、それが仇となって挫折を味わう鏑木のストーリーの2つが交錯しあう展開。

感じとしては、木樽は、ボクシング漫画「はじめの一歩」の主人公・一歩を想起させ、もう一人の主人公・鏑木は、ボクシング漫画の金字塔「明日のジョー」のジョーのような感じです。

特に「はじめの一歩」は、以前、好きでよく読んでいたこともあり、いじめられっ子で気弱な少年が、ボクシングに出会うことで、肉体的にも精神的にも強くなっていくという展開は、いまや、ステレオタイプかなと言う気がしないでもありませんが、王道ではあるので、読みやすさはありました。

もう一方の主人公・鏑木は、おちゃらけキャラの設定で、自身の才能を過信するあまりのビッグマウス癖があり、私的には魅力に欠けるキャラでした。
ストーリーは、他校の怪物ボクサーで、木樽や鏑木の大きな壁となるライバルの存在、実力を付けた木樽が公式戦で鏑木と戦うといった展開など、ボクシング作品の王道とも言える展開です。

双方の主人公にストーリー上の花が持たされており、木樽は憧れであり遠い目標であった鏑木に実力で追いつくこととなり、公式戦で鏑木を圧倒しKO勝ちします。
しかし、他校の怪物ボクサーとの戦いでは敗れることとなり、その相手を鏑木が壮絶な試合で仇を取ることになります。

怪物ボクサーとの戦いでは、スポーツの域を超えた壮絶な戦いの世界に足を踏み入れなければ、怪物ボクサーに打ち勝つことはできず、木樽はスタミナ・スピード・パワーで怪物ボクサーを圧倒しながらも、その世界に足を踏み込むことはできず、敗北を喫します。
しかし、鏑木は、怪物ボクサーと同じ狂気の世界に足を踏み入れることで、怪物ボクサーとの戦いに勝利することとなります。

鏑木や怪物ボクサーが足を踏み入れた世界は、人間性を失った狂気の世界と言ってよく、その世界に足を踏み入れることが幸せなことなのか・・・読む人に課題を突き付けます。

ボクシングの狂気の領域は、松本大洋さんが書いたボクシング漫画「ZERO」を思い起こさせます。
ZERO」は、怪物チャンピオン五島雅のボクシングの狂気を描いた作品で、最強の挑戦者を迎え、五島はようやく、自分と同じように狂気の世界で戦える相手を見つけたと喜びますが、結局、最強の挑戦者も五島のいる狂気の世界の奥底までには着いていくことが出来ず、挑戦者は精神が壊れ、五島は孤独な狂気の世界で苦しみ続ける・・・そんな話です。

本書では、狂気の世界で怪物ボクサーを打ち破った鏑木ですが、この試合で拳を骨折し、選手生命を断ち切ることとなり、狂気の世界に足を踏みとどまる必要はなくなるという展開です。

怪物ボクサーは、その後、プロに転向し世界王者として君臨、何度も王座を防衛をし、その地位を維持したまま引退するというその後が用意されています。
木樽も、怪物ボクサーが高校卒業後(学年が1年上という設定)、2度の全国大会優勝を獲得し、卒業後は検事として活躍するという後日談が、鏑木は、選手引退後はボクシング部のマネージャーをつとめ、卒業後はアメリカに渡って格闘技教室を開いて成功させるという設定になっています。

ボクシングの狂気の世界に触れつつも、その世界に足を踏み入れたり、接した三者が、それぞれハッピーエンドに近い終わりを用意されたのは、少々おとぎ話チックではありますが、あまり暗い話では気が滅入るので、やはり、高校ボクシング部を舞台にした作品ということであれば、これくらいのお気楽な結末が良いのかもしれません。

なお、読んでいて少し気になったのが、ボクシングに関するあれやこれやを、登場人物の口を借りて解説口調で述べられる場面が結構多かったこと。
ボクシングに素人の人でもわかりやすくという配慮ではあったかと思いますが、あからさまな説明調は、なんだか下手な2時間サスペンスドラマで、状況説明とかを、セリフで全部済まそうとするのと酷似していて、多少、興が削がれるところもありました。

最近は、ボクシングの試合は全然見ていませんが、久々に、試合を見てみたいなと思ったのでした。


【『ボックス!』より】
 
「ボクシングというのは互いの体を拳で打ち合うスポーツなんやで」
沢木は手で自分の顔と腹を指した。「それも相手の運動能力を破壊する目的で、人体の急所ばかりを狙って殴る。ダメージは軽くないし、ケガをすることもある」
 
(書き出し)
さっきから電車内の騒がしい声を我慢していた耀子の鼻にタバコの臭いがした。
 
(結び)
「あの子は-」
と耀子は言った。
「風みたいな子やった」
 



[ 2016/08/28 10:00 ] スポーツ | TrackBack(0) | Comment(0)

【書籍:ルポ】 「黄金のバンタム」を破った男

【評価】★★★★★

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著者:百田尚樹
出版:PHP文芸文庫


1960年代に活躍し、日本人としては2番目に世界タイトルを獲得したボクサー、ファイティング原田こと、原田昌彦の半生を描いた作品。
この作品の面白いところは、ファイティング原田がテーマでありながら、ファイティング原田を直接描かず、周辺の人物-ライバルだったボクサーや、同時代や原田以前のボクサーなどを描くことで、ファイティング原田を浮かび上がらせようとしている部分が多いこと。

そもそも、本書の出だしですら、ファイティング原田ではなく、彼より10年程前に活躍し、日本人として初めて世界タイトルを獲得した白井義男のことから始まっています。
敗戦により全てを失った日本が、世界タイトルを白井義男が獲得することで、日本国民に自信と希望を与えたということが描かれており、愛国主義者である著者らしい書きぶりではありますが、敗戦後の日本とボクシングの熱狂の関係性が理解できます。

今でもボクシングはそれなりの人気はあるとは思いますが、戦後のボクシング人気に比べたら雲泥の差であり、当時の人気の背景にあったのは、ボクシングが相手を倒すという荒々しさが、敗戦で鬱積した気分を吹き飛ばす何かがあったということなのでしょう。

そして、白井義男の後は、ファイティング原田の話が出てくると思いきや、白井義男と原田の間の時代に活躍した矢尾板だったり関といったボクサーの話題が続きます。
なかなかファイティング原田を出してこず、引っ張りに引っ張るなぁというところですが(笑)、実は、白井-矢尾板-原田と続く、日本ボクシング界の歴史を明らかにして、日本ボクシングの中の偉大な歴史の1ページを埋めた存在として、本書は原田を描いています。

著者の作戦は、直接原田を描くのではなく、原田の周りを描くことで、原田の偉大さを浮き彫りにしようというもののようです。
原田だけを描いていたら、おそらく単調になりそうなところを、原田の周りを描くことで、立体的に原田の存在を描き、かつ、周辺の人々の興味深いエピソードによって、常に読者を話しに引きつけておくことに成功しているようです。

そして、原田がいかに凄かったかを示すのに、原田と戦い、原田が勝利した相手の凄さを描くことで、その凄い相手に勝った原田はもっと凄い!、こんなロジックになっています。
アントニオ猪木の「風車の理論」みたいなものです。

原田が最初にフライ級チャンピオンとなった時の相手ポーン・キングピッチだったり、バンタム級王者とし君臨し、後に原田に王座を明け渡すエデル・ジョフレ、バンタム級で無冠の帝王と称され、原田の王座に挑戦し退けられたジョー・メデルといったボクサーの強さがこれでもかこれでもかと言うほどに書かれています。
原田の本というよりは、エデル・ジョフレの本かと思うくらいです。

著者の目論見どおり、エデル・ジョフレやジョー・メデルの強さは心底理解できたつもりですが、あまりに彼らの強さを強調するものだから、逆に原田があんまり強いようには思えなくなってきます。
原田が彼らに勝てたのは偶然じゃないのか・・・なんて(苦笑)。
「風車の理論」(自分の強さを際立たせるため、対戦相手を強くみせた上で、それに勝つという理屈)もやりすぎると、逆効果かもしれません。

しかし、そういった点はあるものの、当時の日本や世界のボクシングの状況、その戦いの激しさ、そして様々なドラマを知ることができ、非常に良かったです。
以前、ボクシング漫画「はじめの一歩」にはまって、読んでいた時期があったのですが、原田やライバルの海老原といったボクサーが、主人公の一歩や一歩のライバルたちとオーバーラップするところがあり(漫画のキャラクターも、原田など、実在のボクサーをモチーフにした部分があるのでしょうから)、その点でも、非常に面白く読むことができたのでした。


【『「黄金のバンタム」を破った男』より】
 
他のことはいつでもできる。でも、ボクシングは今しかできない。それに世界チャンピオンとリングで戦える人生なんて、他に比べることができないじゃないか
 
(書き出し)
忘れられない光景がある。
テレビの前で父と父の友人がわけのわからない声を上げている。
 
(結び)
そして、そんな男に二度も勝った原田という男は、本当に凄い。
 


[ 2016/07/29 01:12 ] スポーツ | TrackBack(0) | Comment(0)
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kappa1973

Author:kappa1973
 
読んだ本と映画について、感想を書いていきたいと思います。
 
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★★★★☆:良い作品!
★★★★★:殿堂入り!?

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