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読書と映画

読んだ本、見た映画について感想を書いています。
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【漫画:歴史】 横山光輝版「三国志」(全60巻)

【評価】★★★★★

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著者:横山光輝
出版:潮出版社




【まさかの全巻寄贈】


仕事の関係者に雑談で、「中学生の頃、『三国志』にはまって、吉川英治の三国志は、何度となく読み返しましたよ」なんて話したら、「横山光輝の漫画版『三国志』を全巻もらったんだけど、読まないからあげるよ」と言われ、後日、本当に全60巻、職場に持ってきてくれたのでした。

まさか、本当に持ってきてくれるとは思わず、ありがたく頂戴。
ただ、家に持って帰るには大変だし、置き場もないので、職場の棚に置いて、昼休み中にせっせと読み、1ヶ月ほどで読破したのでした。

ちなみに、全60巻とはいいつつ、所々、4巻ほど抜けていたので、こちらについては、ブックオフを回って、抜けている部分を買い足し、全巻揃えたのでした。
ブックオフは3か所ほど回って、欠けている部分を集めることができました(どれも1冊108円)。
読むのにも多少の苦労が必要というものです。



【下敷きは、吉川英治版「三国志」】


横山光輝版「三国志」について、その存在は知ってはいたのですが、読んだことはなし。全60巻もあるので、買って読むには、そこそこ散財しないといけないし、漫画喫茶に通って読むにも時間とコストがかかるしと、その分量の多さに、なかなか手が出ないところだったので、今回は、良いチャンスでした。

さて、読み始めてすぐわかりました。漫画版の下敷きになっているのは、吉川英治版「三国志」ですね。
吉川英治版「三国志」は、まだムシロ売りの劉備玄徳が黄河のほとりで行商船を待つシーンから始まり、これは、吉川英治版「三国志」のオリジナルですが、横山光輝版も、出だしから、その場面が踏襲されていました。

いやいや、懐かしい。思わず、めくるページの速度も速くなってしまうというもの。



【人物の描き分けに苦労が】


しかし、吉川英治版「三国志」は文庫で10巻に対し、横山光輝版は60巻と、6倍の分量。小説を漫画で表現すると、分量が膨大になるのですね。

さて、本作を読んでいて大変だなと感じたのは、人物の描き分け。それこそ、百人は優に超える人物が登場しますから、それぞれを描き分けるのにはなかなかの苦労が伺えます。
読み通して感じましたが、横山光輝さんのお気に入りのキャラは、結構、個性はっきりと描かれ、そうでない人は、あんまり個性がはっきりしない描き方だったような(笑)。

描き分けがはっきりしている人物としては、関羽、張飛の2人、そして諸葛孔明あたりでしょうか。
その他にもそれなりに描き分けられていますが、しっかり他と区別されるのは、この3名だった気がします。
実は、読んでいて、意外(というほどでもないですが)な人物が、関羽、張飛並に個性ある顔立ちで描かれていました。

それは、魏の武将、徐晃。
徐晃、魏の勇将の一人ですが、それにしても知名度以上に、かなりしっかり描き分けされていたような(笑)。絶対、横山光輝さん、徐晃ファンだな。



【赤壁の戦いは真ん中あたり】


三国志、非常に長い大河ドラマであるので、様々なエピソードがあり、どのエピソードを詳しく描くか、もしくは簡略化、省くかの判断は重要となります。
三国志最大のエピソードは、やはり赤壁の戦いですが、本書では赤壁の戦いは、25巻、26巻あたりで描かれており、本書の中盤よりもやや早い回で登場。
赤壁の戦いというと、三国志のクライマックスのようなイメージがあっただけに、かなり早い段階で登場してきたのはビックリしましたが、よく考えれば、赤壁の戦いの後に三国鼎立時代がやってくるわけですから、確かに中盤辺りで登場するのもおかしくはないですね。

ちなみに、赤壁の戦いでは、破れて敗走する曹操を、関羽が昔の恩義で見逃すというシーンがあります。更に、曹操の後を追って逃げてくる、曹操の武将、張遼も昔の友情により関羽は見逃します。
本書では、曹操を見逃すシーンは描かれていましたが、張遼を見逃す場面は描かれておらず、ちょっと残念。



【横山先生が好きなエピソードは・・・?】


やはり漫画であるだけに、全部書こうとすると、さらに膨大になってしまうでしょうから、メリハリをつけて描くエピソード、描かないエピソードが出てきます。
本書で省かれたエピソードで、意外だったのは、三国志序盤のクライマックスとも言える、曹操と袁紹の戦い-官渡の戦いがばっさり省略されたところ。
まさか、曹操と袁紹の戦いを思い切って切り捨てるとは意外でした。そのため、曹操の謀将・郭嘉は一切登場せず、また、袁紹配下の謀将たちも登場せず、なかなかに残念でした。

一方、相当の紙面を割いて描かれたエピソードもあります。
諸葛孔明による南蛮征伐。南蛮の王・孟獲を7度捕えては7度解き放ち、心の底から感服させるというエピソードなので、要は、7度の戦いがあるため、きっちり描こうとすれば、確かにそれ相当の紙面は必要にはなります。

南蛮征伐に割かれた紙面は、4巻分。
どのエピソードよりも、圧倒的分量が割かれていたのでした。
横山先生、諸葛孔明の南蛮征伐のエピソード、よほど好きだと見た!

こういう風に著者の好みなども、そこはかとなく漂ってくる当たりも、本書を読んでいて面白いところでした。

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[ 2017/06/25 00:00 ] 歴史物 | TrackBack(0) | Comment(0)

【漫画:忍者物】 バジリスク-甲賀忍法帖-(全5巻)

【評価】★★★☆☆

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著者:せがわまさき
原作:山田風太郎著『甲賀忍法帖』
出版:講談社


地元の温泉の休憩スペースに漫画がたくさん置いてあり、5巻完結という手軽さに魅かれ読破したのが本作。
元は山田風太郎の小説が原作となっているようですが、山田風太郎の小説が原作となっているだけに、かなり奇想天外なストーリーとなっています。

時は、江戸時代。三代将軍の候補者として、長男竹千代、次男国千代のどちらか一人を選ぶために、伊賀忍者10名、甲賀忍者10名を戦わせ、伊賀側が勝てば竹千代を、甲賀側が勝てば国千代を将軍候補とするということになります。
これにより、伊賀、甲賀の死闘が繰り広げられるという展開。

この設定自体は良いとして、出てくる忍者が人間離れしているというか、もはや人間じゃありません。それこそ、「ワンピース」に出てくる悪魔の実でも食べたんじゃないのと言いたいくらい、化け物そのものです。

主人公は、甲賀忍者のリーダーですが、こちらは、敵が殺意を持って襲ってきた時に、相手の目を見ると、敵はその殺意が跳ね返って自分で自分を殺してしまうという、自らの手を汚さずに敵を抹殺できるという瞳術という技が必殺技。
この辺りは、まだまだ人間っぽいですが、手足がなく、蛇のようにお腹の筋力で、高速で地を這うように移動し、お腹にしまいこんだ槍を、口から出して敵を串刺しにする技を持つ忍者や、地面や壁に溶け込んで移動できる忍術を持つ者、なめくじに姿を変える者、首を切り落とされても、傷口をくっつけ生き返る能力を持つ者など、奇人怪人のオンパレードで、キャラクター達の能力だけ見れば「忍者版ワンピース」といった趣でしょうか。

この超絶至極の能力(?)を持った忍者達が死闘を繰り広げるという展開ですが、その中に、様々な人間模様-その多くは恋愛関係ですが-織り込まれていきます。
甲賀忍者のリーダー(男)と、伊賀忍者のリーダー(女)も婚約していたのですが、この戦いが起こったことにより、否応無しに、殺し合いをしなければならなくなるという、なかなか複雑な人間模様が展開します。

忍者漫画は、人間関係と使命の対立という問題がテーマになることも多く、あの「忍者ハットリ君」でさえ、ケムマキ君はその問題に苦しめられ(?)たりするわけですから、いわば、忍者漫画の永遠の課題と言っても過言ではありません。

本作でも、このテーマを抜きには語れないわけですが、主人公とヒロイン(甲賀、伊賀のそれぞれのリーダー)の関係を除くと、使命重視に比重が置かれていて、結構ドライに殺し合いが続けられていくのが本作の特徴と言えます。

まずは、甲賀・伊賀の間には400年来の宿怨が存在していて、今回の将軍候補選びのための戦いは、お互いを殺す良い口実だと嬉々としている姿がまず第一にあり、その後に、少し、人間らしい感情もにじみ出てくるといった具合。
その点で言うと、本作の見所は、化け物のような奇怪な能力を持った忍者達が、どのような方法で相手を倒し、そして倒されるのか、まさに格闘技やコロシアムでの戦いを観るような楽しみ方を味わう点ではないでしょうか。

戦いの始めは、不意を突かれた甲賀側が劣勢に立ち、多くのメンバーがあっさり倒されていってしまいます。ようやく、体勢を立て直した甲賀側が反撃に出て後半五分五分まで追いつくという、まさにデッドヒート、接戦が展開されていきます。

なめくじに変身する能力を持つ忍者が最後の方まで生き残るなど、意外と見た目しょぼい能力の者が生き延びたりして、なかなか予想外の展開も面白いところでした。
個人的には、「地虫」という名の、手足のない忍者を応援していたのですが、意外とあっさり殺られてしまったのは残念なところ。

こんな感じで、自分のお気に入りの忍者の生き様、死に様を楽しむのが醍醐味の作品でしょう。

そして、最後は、生き残った二人、主人公とヒロイン-甲賀・伊賀のそれぞれのリーダーが戦うことになります。
愛する相手を殺すことはできず、二人とも自決するという結末で物悲しい終わりになりますが、個人的には、一層のこと徳川家に叛旗を翻して二人で戦って欲しいところでした。
しかし、その展開だと、ほぼ人間を寄せ付けない能力を持つ忍者なので、徳川幕府は転覆させられてしまい話にはならないだろうから、難しいか・・・。

この作品の一番悲しいところは、普通の人間を寄せ付けない超絶した能力を持っていながら、賭け事のコマのような最低の扱いを受けていても、それに逆らわず従ってしまう忍者達の悲しい性にあるでしょうか。

[ 2014/09/21 00:00 ] 冒険・活劇 | TrackBack(0) | Comment(0)

【漫画:妖怪物】 天界のゲゲゲの鬼太郎

【評価】★★☆☆☆

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著者:水木しげる
出版:角川文庫


「天界のゲゲゲの鬼太郎」というタイトルだけあって、天界=宇宙、すなわち宇宙人絡みの話が多く収録されていました。
宇宙人絡みということもあって、結構、突拍子も無い話も多い印象。


「地上絵の秘密」
女性をさらいハーレムを作ることを目論む宇宙人に立ち向かう鬼太郎の話。
ハーレムを作るために、わざわざやってくる宇宙人って、一体・・・。
大人向けな展開で(笑)、女性器型の宇宙船に、ペニス型のロケットで突入するやら、最後は、宇宙人をやっつけ、宇宙人の使っていた宇宙船で地球に戻りますが、助けに行った鬼太郎たちと、助けられた女性たちが乱交しながら、地球に戻るという、アニメの鬼太郎では想像できない展開の話でした。
水木先生の妄想ワールド炸裂の話でした(苦笑)。


「UFO宇宙突撃隊」
幻覚兵器を使う宇宙人にやられて洗脳され侵略軍の片棒を担ぐことになる鬼太郎ですが、結局、その宇宙人と対立している他の宇宙人の助けで侵略軍を撃退、鬼太郎の洗脳も解けてめでたし、という展開。
鬼太郎、いいところ一切無しの展開です。
漫画版のゲゲゲの鬼太郎って、鬼太郎がいいところ無しで、運や他の人の助けでなんとかなっちゃう話が、割と多い気がします。
その辺のヒーローらしからぬところが、魅力なのでしょうか。


「火星人現る」
エネルギーを吸う火星人が出現、鬼太郎が退治しようとするが、逆に火星人に鬼太郎が吸収されてしまうという展開。しかし、鬼太郎の霊力が半端ない強さだったことから、鬼太郎を消化しきれず、逆に火星人がやられてしまうというお話。
鬼太郎が吸収されるも、消化しきれず、吸収した方が(消化不良で?)やられてしまうという展開は、結構、おなじみのパターンという気がします。
考えてみると、鬼太郎って、食べると毒だし、トゲ(頭の毛ですが)はあるしで、なんだか河豚みたいです・・・。


「ロケットハウス」
人間をそっくり模写して、人間に成り済ますことで地球を侵略しようとする宇宙人の話。
しかし、宇宙人の研究不足で,人間はみんなそっくりの顔をしていると誤解し、同じ人間をたくさんコピーしたため、侵略の意図がばれてしまい、宇宙人が慌てて逃げ出してしまうという、なんとも不可思議な話。
たしかに、他の生き物って(特に自分と姿形が異なる生き物については)、どれを見ても同じ顔に見えるってのはありますね。
そういうところから着想を得た作品だと思いますが、なかなかとぼけた味わいのある作品です。


「不思議な家」
こちらも、人間心理を研究するため、人間を捕まえる宇宙人の話。
人間を捕まえて研究するも、なかなか人間の心理が分からず、次々と人間を捕獲し続ける宇宙人。
ある日、ねずみ男がその宇宙人に捕まり、人間心理研究の実験対象とされますが、ねずみ男を分析したことで、人間心理を全て理解できたと満足した宇宙人は、実験を終了し、地球外に飛び去ってしまうのでした・・・。
えぇ・・・、ねずみ男が人間の心理を研究するのにもっとも好都合ということ!?
最初は、それはないだろうと思いましたが、時間が経って冷静に考えてみると、ねずみ男の欲深さや、自分勝手なところ、ずる賢いところ・・・などなど、意外と一番、人間らしいのかもしれないな、と思えてしまうのでした。


「わんたん妖怪」「壺仙人」
仙人に関するお話ですが、どちらも、霧に化けて、山口百恵ちゃんの布団に潜り込んだり(「わんたん妖怪」)、弱みにつけ込んで美少女を自分の召使いにしたり(「壺仙人」)と、亀仙人のようにエロい仙人のお話(笑)。
仙人って、煩悩などに捕らわれると仙術を失うなんて話をよく聞きますが、ここに登場する仙人は、最初っから煩悩まみれなんですが(苦笑)。
水木先生の手にかかると、あらゆる欲望から解脱した仙人も、かなり人間くさい存在になってしまうようです。
まぁ、これらの仙人は、自分の煩悩を満たしたいがために、一生懸命修行をして仙人になったというタイプの人達ばかりなので、一般的に思われている仙人とは真逆の存在と言えそうです。


「煙羅煙羅」「ぬけ首」「妖怪クリーニング」
ねずみ男が、妖怪を使って金儲けをたくらむものの、最後は失敗して元の木阿弥になってしまうというお話。
「ゲゲゲの鬼太郎」を読んでいると、ねずみ男が、一番商才があって、チャレンジ精神に富んでいるなぁと思います。
目的も、「金を儲けて、豪華な生活をしたい」という単純極まりないものの、もっとも根源的で強烈なものだけに、行動力も半端ないよなぁ・・・。妖怪界の両津勘吉と言ったところでしょうか。
ビジネスアイディアに関しても、ねずみ男、両津勘吉双方とも、とても光るものを持っていますが、両者とも、好奇心旺盛なところがビジネスアイディアの源泉になっているような気がします。
そして、結局、最後はトラブルを引き起こして、鬼太郎に制裁を喰らって、すってんてんになってしまうという毎度のオチは少々気の毒な感じが・・・。
ぐうたらキャラの鬼太郎に、毎度、働き者(金儲けに関してですが)のねずみ男がやられてしまうのは、よくよく考えると納得いかないなぁ。


「妖犬」
事故を未然に予知したり、人語を理解している様子を示したりと、拾ってきた捨て犬が犬らしからぬという通報を受けた鬼太郎が、その犬の正体を暴くべく戦いを挑むというお話。
鬼太郎の執拗な攻撃に、その犬はついに正体を表し、元の仙人の姿に戻ってしまいます。
仙人は、「気楽にのんびり過ごそうと思って犬に化けていたのに台無しじゃ。言っておくが、戦うだけがすべてではないのだぞ。」と言い捨て、鬼太郎達を置いてどこかに旅立ってしまいます。
ストーリーはあっさりしていますが、戦って物事を解決しようとばかりする鬼太郎へのアンチテーゼを示す終わり方になっていて、印象深い話でした。

【漫画:冒険】 水木しげる妖怪傑作選 3 縄文少年ヨギ

【評価】★★☆☆☆

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著者:水木しげる
出版:中央公論新社


本書は、縄文時代に生きる少年ヨギの短編ストーリー16編に、「天国」「河童膏」「合格」「偶然の神秘」「化木人のなぞ」の5編の短編で構成されています。

「縄文少年ヨギ」では、ヨギの暮らすどんぐり村が、飢饉や疫病、他部族や人喰い人種との戦い、そして、人外魔境-神やら妖怪などとの関わりの中で厳しい環境にある中、ヨギが縄文時代における生活を生き抜いていくストーリーとなっています。

その中でも笑ってしまったのが「なまこ」に関する話。
「なまこ」料理が出てきたり、「なまこ」の話題があがると、日本人であれば、ほぼ確実に、「『なまこ』を最初に食べた人って勇気があるよねー。」とか、「『なまこ』を人類で初めて食べた人って、一体どんな人なんだろうね」という発言をするかと思いますが、水木先生も、やっぱり、同様のメンタリティを持っていたようです。

「縄文少年ヨギ」の一編の中に、ヨギが敵対する部族に捕まり、神への生け贄にされそうになるという話が出てきます。
神に生け贄にする場合に、食べられるかどうか判断がつかない物を、生け贄に食べさせる(要は、毒味実験みたいなもの)という儀式があり、ヨギは、その儀式で、『なまこ』を食べさせられます。
食べてみたところ、普通に食べることができ、しかも味も結構いけているということが分かり、それ以降、人類は『なまこ』を食べるようになったのだ・・・こんなトリビア(?)が「縄文少年ヨギ」に出てきます。

漫画「魁!男塾」で武術などの由来を「民明書房刊『中国武術大全』によれば、ゴルフはイギリス発祥との説が有力であるが、実は、古来の中国、五竜府において行われた××に端を発し・・・そこから五竜府(ごりゅうふ)が語源となりゴルフとなったのだ。」といった類いのインチキ豆知識を作中でやっていましたが、それを彷彿とさせ、思わず笑ってしまいました。

やはり、水木先生も、『なまこ』を人類で初めて食したのは誰か、気になって仕方なかったのでしょうか(笑)。

こんな感じで(?)、「縄文少年ヨギ」は飄々とした展開で、飢饉で村人が全滅しそうになったり、ヨギの家族や友人が、様々な出来事で続々と死んでいったり、はたまた、飢えを凌ぐため、人肉を食する話がでてきたりと、普通に考えると、かなり悲惨な縄文生活にもかかわらず、ドライというか、そういう生活全てを受入れ達観した雰囲気が全編通して漂うのが印象的な作品です。

どことなく、水木先生の戦争体験を通じて得た達観した思想などが漫画に通っている気がします。
本書の中にある一編「偶然の神秘」では、様々な著名人や事件、自分の境遇などを引き合いに出しながら、偶然の不思議さを語る内容になっているのですが、その中で、赤穂浪士(忠臣蔵)の四十七士について次のように評しています。

切れやすい殿様(浅野内匠頭のこと)を上司にもったが故に、仇討ちなどという行為をせざる得なくなり、最後は斬首の憂き目に遭い、得た物といえば多少有名になっただけという、トータルすれば割の合わない話で、四十七士は、偶然のいたずらから気の毒な運命になってしまった。そもそも、いくら死後、名前が残ったからといっても、1万年も経てば忘れ去られてしまうので、名が残るなんてほとんど意味が無いのだ。

中国の故事なんかで、「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」とあるように、後世に名を残すことって、すごく名誉なことという考え方もあるわけですが、水木先生にかかれば、「1万年もすれば、そんなもん忘れ去られてしまうんだから、意味ないじゃん」という、ある意味、妖怪的な時間感覚(?)なところが、さすがという気がします。

「縄文少年ヨギ」にも、人の営みの儚さ、生死の偶然性、一瞬々々を生きていくことの重要さ、そんな思潮が根底にあるのかなと、「偶然の神秘」という作品を通じて感じることができます。

本書の中で、もう一つ印象に残った作品は、「天国」でした。
こちらも縄文時代が舞台となっており、ある村に、突然神が出現し、神に土を食べさせると、土器や石器など様々な道具を排出してくれることから、村人達は、こぞって神に土を食べさせ、様々な便利な道具を手にするようになります。
村人達は、この神を「ブンメイ」と名付け、崇め奉るのですが、いつしか、「ブンメイ」は空腹になると暴れて村を壊し始めるので、村人達は、「ブンメイ」が暴れないように、土を掘る労働に長時間割かれるになってしまいます。
最初は、便利な道具を得て豊になったことから、「ブンメイ」をありがたがっていた村人達ですが、便利な道具を得るために、長時間労働をしなくてはならなくなり、昔の気ままな生活ができなくなったことに不満を感じ始め、最後は、「ブンメイ」から逃れるため、村人達は村を捨て去ってしまうという話。
この話では、ストーリーテーラー的な存在の主人公がいますが、「ブンメイ」により物質的に豊になるものの、時間やその他のことが犠牲になる生活は「天国」にはほど遠いが、以前の「ブンメイ」が無く、ネズミを丸かじりするような生活が「天国」に近いとは言い難いとして、更なる「天国」を求めて旅を続けるというところで、話は終わります。

つい先頃、経済的豊かさだけを尺度にするのではなく、ブータンで取り入れられているような幸福指数のようなものも考えるべきなんて議論が流行りましたが、物質的豊かさと精神的豊かさの関係は、難しいものがあるなぁと思いました。

ブータンでも、以前は、鎖国に近い状態で国外からの情報というのはほとんど入ってこなかったそうですが、その時代(といっても10年くらい前の話ですが)の国民の満足度・幸福度は、相当高かったそうですが、鎖国をやめ、インターネットなどが解禁され、様々な情報が手に入るようになると、現状への飽き足りなさや不満などがブータンでも(特に若い人たちの間で)高まったということがあるようです。

物質的豊かさって、一面では人の欲求を満足してくれる一方、更なる欲求を刺激することにもつながるのだと思います。
知らなければそこで満足できたものの、知ってしまうと、現状では満足できなくなる、この難しさが、人類の永遠の課題なのかもしれません。

さて、本作、漫画自体としては、すごく面白いというものでもない気がしますが、水木ワールドを味わうにはよい作品かと思います。
水木ワールドに浸ってみたい人は手に取ってみて損はないかと思います。

[ 2013/11/01 22:32 ] 冒険・活劇 | TrackBack(0) | Comment(0)

【漫画:スポーツ】 ZERO(全2巻)

【評価】★★★★☆

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著者:松本大洋
出版:小学館


以前は、ボクシングを見るのが好きで、ボクシング漫画なんかも、結構、読み漁っていた時期がありました。そういった時に出会ったのが、この「ZERO」でしたが、短いながら、圧倒的な展開でかなり感動した覚えがあります。
漫画自体は、その後、人に貸すか何かして手放したままだったのですが、ブックオフでたまたま目にしたので、再度購入、読んでみました。

内容は、圧倒的な強さを誇るミドル級王者、五島雅の狂気と孤高を描いた作品です。
圧倒的な強さを誇るが故に、挑戦者を全く寄せ付けず、10年間、ミドル級王者の座を守り続けている五島。
そんな中、メキシコで圧倒的な強さを持つメキシコ王者トラビスの噂を耳にした五島は、トラビスを挑戦者として対戦をすることとします。
トラビスから、自身と同じ異能者の匂いをかぎ取った五島は、トラビスに自身の全てを継承させるべく、全力で闘いに臨みます。
トラビスは、パワー、スピード、スタミナともに五島を上回り、五島を圧倒しますが、五島の闘うことへの執念、狂気は、トラビスを飲み込んでしまい、トラビスは五島の狂気に付いていくことが出来ず、膝を屈することになります。
五島の後継者と目されたトラビスさえも、五島の下にたどり着くことはできず、五島は、誰も付いてこれない孤独な世界で一人叫び続けるのだった・・・。

こんな感じで、圧倒的な才能を持つ異能者故に、誰からも本当に理解されることなく孤独な世界を生き続けなければならない天才の話-そんなストーリーとなっています。
それ故、五島の他者を寄せ付けない圧倒的な強さは、作中の登場人物が、それぞれの立場から様々に評価するわけですが、その中でも、五島の所属するボクシングジムのトレーナーの評価は痛烈です。

「あの強さ無意味です。冷徹で残酷。」

この言葉を読むたびに、いつも新撰組を思い起こしてしまいます。
新撰組自体は、尊皇攘夷とか佐幕とか目的はあったのかもしれませんが、後になって振り返ってみると、「冷徹で残酷、無意味な強さ」、こんな評価も一面では当てはまるように思います。
しかし、後世からみると、新撰組の冷徹で、強さだけを追求するようなストイックさにある種の美学を感じることも確かです。
本書の主人公、五島雅も「強い」というたった一つの価値基準だけで生きている姿に、似たような印象を受けます。

ただ一方で、10年間、王座を守り抜いてきた五島も、30歳を迎え若い頃の勢いが失われてきていると自覚し始めています。
そのため、五島は、自分の強さを継ぐべき人物を探さなければならないと内心焦りが出始めるわけですが、その中で眼鏡に適ったのがメキシコ王者トラビス。

この辺りは、組織である新撰組と個人である五島の違いがはっきりと出てきています。
組織であれば、(年齢による)力の衰えや継承という問題は原則考える必要はありませんが、個人の場合は、必ず衰退期を迎えることとなり、そこにさしかかった場合はどうするかを考えなければならないわけです。

絶対的な力を誇っていた最盛期であれば、そんな問題は一顧だにする必要はないわけですが、衰退期に入れば、身の振り方は切実な課題。
本書の主人公五島は、身の振り方として、自身の地位その他諸々を、自分と同じ力を持つ者に継がせようと考えたわけです。

その点、新撰組は、誰かに後を継がせようとか、そういったこととは無縁だったわけで(幕府が滅びの一途を辿ったので、後を継ぐとかそういったことではなかったという事情もありますが)、傍目から見ると、純粋に強さや闘うことだけを追求して、その美学に殉じたとも評価できます。
個人の場合、なかなかこうはいかない点は悲劇なのかもしれないし、逆に救いなのかもしれません。

さて、本作では、後継者と目されたトラビスは、土壇場で五島の(狂気の)域に到達することは出来ず、五島は、一人、孤独な世界に取り残される-そんなエンディングが待っています。

五島は、強すぎるが故に、誰かにバトンタッチすることができず、ひたすら孤独な世界をこれからも生き続けていかなければならないという結末は、とてももの悲しさを感じます。
他方、ここまでの域に達しない自らを省みて、孤独ではないことへの一安心と、この域に到達し得ない凡才をちょっと寂しくも感じました・・・。

なお、本書のタイトル「ZERO」は、世間が付けた主人公五島への称号です。
作品の中では、なぜ「ZERO」と呼ばれるのかは説明されていませんが、普通に考えれば、無敗なので「ZERO」となったか、絶対的な王者であることを意味して「ZERO」となったか(ボクシングでは、ランキング1位の上に王者がいるので、1位の上と言うことで0)あたりかと思います。
ただ、「強いだけで、他には何もない」、「無意味な強さ」を揶揄した意味があるとしたら、このタイトル、少々悲しいものを感じます。

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プロフィール

kappa1973

Author:kappa1973
 
読んだ本と映画について、感想を書いていきたいと思います。
 
評価は5段階で・・・
★☆☆☆☆:焚書坑儒!
★★☆☆☆:時間の無駄
★★★☆☆:損はない
★★★★☆:良い作品!
★★★★★:殿堂入り!?

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