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読書と映画

読んだ本、見た映画について感想を書いています。
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【洋画:シェイクスピア作品】 ハムレット(メル・ギブソン版)

【評価】★★★★☆

hamlet.jpg
1990年/アメリカ
監督:フランコ・ゼフィレッリ
主演:メル・ギブソン


「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」という名台詞は聞いたことがあっても、実際、「ハムレット」自体は見たことがないので、素養を高めるために(?)、レンタルしてみることにしました。

【ストーリー】
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12世紀のデンマーク。
王が急逝し、弟が王妃を妻に迎えて王位を継ぐこととなった。
しばらくして、王子ハムレットの元に、王の亡霊が夜な夜な城をさまよっているという噂が耳に入る。
ハムレットは、その噂の真偽を確かめるため、王の亡霊が出るという場所に出向くが、そこで実際に王の亡霊に出くわし、王の亡霊は弟である現王に謀殺されたとの事実を打ち明ける。
王の亡霊の告白を聞いたハムレットは、父の仇を取るため、現王を殺すかどうか、悩むのだった。ハムレットは、狂人を装い、本当に現王が父を殺したのかを探るのだった。
そして、城に来た劇団に、亡霊から聞いた父王殺害の現場を演じさせるが、現王がそれを見てうろたえるのを目の当たりにして、ハムレットは、父が現王に殺されたことを確認する。
一方、父王亡き後、すぐに現王の妻となり、嬉々として生活を送る母親を苦々しく思うハムレットは、父王暗殺の事実を母親に突きつけるが、その時、そばに居た重臣を誤って刺殺してしまう。
現王は、ハムレットの様子に不信感を抱き、ついに密かに殺すことを企てる。
ハムレットに殺された重臣の息子は、ハムレットの親友であったが、父を殺されたことによりハムレットに恨みをいだくようになり、その親友もハムレット暗殺の企てに荷担する。
ハムレットを暗殺するために、剣術大会を開催することにし、試合用の剣に毒を塗ると共に、飲み物にも毒を入れ、試合に参加するハムレットを毒殺しようと企てる。
しかし、毒入りの飲み物は誤って母親が飲んで死んでしまう。更に、毒を塗った剣で、ハムレットの後ろから肌を傷つけた親友だが、卑怯な振る舞いに激怒したハムレットに剣を奪われ、逆にその剣で刺されてしまう。
自分の死が免れないと悟った親友は、現王の目論見をハムレットに話し、懺悔しながら死んでいく。
その話を聞いたハムレットは、毒剣で、現王を刺殺するが、自身も傷口から毒が回り、死んでしまうのだった(完)。

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シェークスピア作品は、映画化されたものを以前にもいくつか見ましたが、総じて言えるのは、シェークスピア作品って、結構、悪趣味だよなぁというものです。

テーマは、「裏切りと復讐」もしくは「復讐と悲劇」という言葉がぴったり当てはまるような展開なのですが、たいていが復讐に直接・間接でも関わった人物は全員死ぬという、「皆殺しEND」ばっかりで、本作、ハムレットもそれに違わず、関係者全員死亡という、なんとも後味の悪い、私からすると、悪趣味も甚だしい終わり方を迎えます。
ただし、悪趣味な終わり方を除くと、ストーリーは結構面白いものでした。

主人公ハムレットが、父王の亡霊から、父王が弟である現王に殺されたということを知らされ、復讐のため、現王を殺そうと、あーでもない、こーでもないと悩むお話です。
父王暗殺は、父王の亡霊から聞かされるものの、8割くらいはそれが事実だろうと信じつつも、亡霊は実は悪魔で、自分はたぶらかされているのではと悩んだりして、なかなか、父王の仇を討とうというところまで気持ちが定まらないという展開。

そして、途中で狂人のフリをして現王の動静を見極めようとしたりしますが、正直、なんで狂人のフリをする必要があるのかが、よく分からないところでしたが、仇討ちに踏み切れない自分に、時には自分を叱咤し、時に、父王が暗殺されたのは間違いではないかと、自分を正当化したりして、右往左往する姿は、大事に踏み切れない人間の心理が出ていて、面白いところでした。

その後、ハムレットは、過ちから家臣を殺してしまい、父親の仇討ちを狙うと言う立場であると同時に、家臣の息子で親友のレアティーズに父親の仇として狙われる二重の立場になってしまいます。
ハムレットが、父親の仇として現王を殺すことが正当化されるのであれば、ハムレットがレアティーズに父親の仇として殺されるのも正当化されるべきことになるので、殺せば、自分も殺されるというような、複雑な状況になります。

ハムレットは、こういう状況について悩むわけではないですが、観賞している側からすると、ハムレットの正当性がハムレット自身を殺される理由になり得るというのは、なかなか皮肉で、ある種「人を呪わば穴二つ」(←人を呪うのであれば、呪った相手の墓穴だけでなく、自分の墓穴も用意しておけ、という意味ですね)の状態。
洋の東西を問わず、復讐には危険が付きものということかもしれません。

最後は、現王が、ハムレットを暗殺するための舞台として剣術試合の場を設け、そこで、現王、現王の妻でハムレットの母親、レアティーズ、そしてハムレットが全て死に絶えるという、なかなかえぐい結末を迎えます。
皆殺しエンドという、壮絶な結末ではあるものの、復讐者であるハムレット、レアティーズは、一応は復讐の目的は遂げたといえなくもありません。
もちろん、こんな結末を予想していたわけではないので、目的を達成したとは言え、それぞれにとって不本意な最悪な結末であることには間違いないわけですが。

しかし、結局、ハムレットの復讐も、現王が用意した舞台に乗った、言わば、流れに身を任せた末の受動的結末であり、結局、ハムレットは、色々悩んだ末に、決断せずに終わってしまったんですね。
悩んでいる末に、時間が解決してくれたけど、それは自分が思っていた解決の結末ではなかった・・・、なんだか日常でも結構ありがちな話ではありますが、それが、復讐とか暗殺とか大事にあると、結果もささいなことには終わらないということかもしれません。

人間、あまり大それた事を思い悩んでいると、とんでもない結末にはまりこんでしまう・・・それが世の中なのかも。

ハムレット、なかなか面白い作品でしたが、シェークスピアの、「皆殺しちゃえ」という悪趣味な発想は、やっぱり、ちょっとついて行けないかなぁ・・・。

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【洋画:シェイクスピア作品】 マクベス ザ・ギャングスター

【感想】★★★☆☆

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2006年/オーストラリア
監督:ジェフリー・ライト
主演:サム・ワーシントン
原作:ウィリアム・シェイクスピア「マクベス」


シェイクスピアの戯曲「マクベス」を、現代風にアレンジし、ギャング組織の抗争を舞台にした作品とのことです。
いくつか、シェイクスピアの戯曲を映画化した作品を過去に見たことがありますが、今のところ、ヒット!という作品はなかったので、そろそろ、面白い作品を発掘したいものです。

【ストーリー】
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麻薬密売組織に所属するマクベスは、組織を裏切った取引先を迅速に始末することで、組織に対する多大な功績を挙げる。その直後、マクベスの下に、魔女3人が訪れ、マクベスの近い将来の預言と、更に、「マクベスが王になる」との預言を与える。
実際、預言を受けた後、近い将来の預言については的中し、マクベスは、「王=組織のトップに立つ」という預言の実現にも期待を持つ。
そして、マクベスは、その預言を実現させるべく、組織のボス、ダンカンの暗殺を実行、その罪をダンカンの護衛に擦り付け、見事、マクベスは、組織のトップへと付くことに成功するのだった。
その後、マクベスは、自分の地位を脅かす恐れのある部下や、敵組織に寝返った部下の家族を虐殺するなど、暴政を開始したことから、人心が離れ、マクベスの下を離れた元部下などが、マクベスを殺すべく叛旗を翻す。
マクベスは、魔女から受けた「女から生まれた男にはマクベスを殺すことができない」との預言を信じ切っていたため、叛旗を翻した元部下達と直接戦う決断をする。
しかし、元部下の中に「女から生まれた男」ではない者がおり、その者の手で殺されてしまうのだった(完)。

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シェイクスピアの戯曲「マクベス」を読んだことも見たこともないので、正確なことは言えませんが、本作を見ると、所々の言い回しなどが、確かにシェイクスピアっぽいなぁと感じます。
他方で、本作は、舞台が現代であるのに対し、原作の「マクベス」の舞台は中世であることもあり、中世を舞台にした言い回しを現代にそのまま持ってくることの難しさを実感します。
どうしても、大仰な言い回しになって、おそらく、日常で「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ!」(このセリフは「マクベス」でのセリフではありませんが)なんてことを言っている人がいたら、「おかしな人」と思ってしまうでしょう。

さて、本作は、舞台を現代、しかも、ギャング組織に置き換えています。
主人公マクベスは、敵対組織を潰すのに功績を上げ、組織のボスから高い評価を得ます。

しかし、マクベスは、魔女から、「将来、王になる」との預言を受けていたことから、ボスを追い落とし、自分が組織のボスになる野心を胸中に抱いているという設定。
この野心を知ったマクベスの妻も、その野心を実現するべく協力-というか、積極的に野心を達成するよう、けしかけ、ついには、ボスを暗殺してしまいます。

さらに、犯行を他の者になすりつけ、自らは、組織の後継者としてボスの座に就く事に成功します。

ボスの座に就いたは良いものの、その座を脅かされることを恐れて、実力のある親友を殺してしまったり、敵組織に寝返った部下の家族を皆殺しにしたりと、人心が離れる行為ばかりをしてしまい、どんどんと孤立を深めていくことになります。

設定が、原作「マクベス」のように王位であれば、猜疑心により、地位を脅かしそうな者を殺すというのは理解できそうですが、たかだか、麻薬密売グループのボスの地位で、そこまで、過剰な反応をしめすかなぁ・・・というのは違和感を覚えるところでした。

ボスを暗殺するという大胆な行為を行ったマクベスとその妻が、その後、あっさり罪悪感に苦しめられ錯乱していくという展開は、ちょっと、リアリティに欠けるなという印象もありました。
この当たりも、原作の「王位」を巡る話を、現代の「組織のボス」という矮小化した話に置き換えた点の難しさが出ていた感じがします。

その後、人心が離れ、反マクベス派が、マクベスを殺すべく立ち上がることになります。
マクベスは、自分の運命がどうなるかに不安を覚え、魔女から預言を引き出します。
魔女は、「バーナムの森が侵攻してこない限り安泰である」「女から生まれた男に、マクベスは殺せない」という2つの預言をマクベスに与えます。

どう考えても、「バーナムの森」が動いたり、女から生まれない男はいないことから、自分の地位は安泰だとマクベスは考えるわけです。

この預言がどのように覆されるかが、本作の見所の一つであるわけです。

「バーナムの森」の預言については、反マクベス派が、バーナムの森の木を切って、その木材をトラックに積み込み、マクベスの館へ向かう(木材を何に使うつもりだったのかはよく分かりませんでしたが・・)という行動で、預言の一つが覆されます。

・・・そんなんでいいのか!? 一休さんの頓智に比べると、だいぶ出来が悪い気がしますが・・・。 うーん、まぁ、良しとしましょう。

そして2つ目の預言「女から生まれた男に、マクベスは殺せない」というものについては、反マクベス派の一人が、マクベスをナイフで刺し殺すのですが、その男は、「月足らずで帝王切開によって生まれた」から、マクベスを殺すことが出来たというオチ。

・・・うーん、帝王切開で生まれようと、女から生まれたのには変わりないのでは??
最後は、全然、納得いかん!

納得がいかなかったので、原作がどうなっているかを調べてみたら、原作では預言は、「女の股から生まれた男に、マクベスは殺せない」という内容だそうです。
・・・「女の股」って。シェイクスピアも、何だか生々しい話を書くよなぁ(苦笑)。

ただ、本作は、吹き替え&字幕で見たので、もしかしたら、英語では、きちんと「女の股」になっていたのかもしれません。

本作、シェイクスピア作品を現代を舞台にリメイクし直すという、野心的な作品ではありましたが、そのハードルの高さを実感させる内容でした。
まぁ、シェイクスピアが結構、生々しい奴だった(笑)というのを知ることができたのは、一つの収穫でした。

【洋画:シェイクスピア作品】 英雄の証明

【評価】★★★☆☆

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2011年/イギリス
監督:レイフ・ファインズ
主演:レイフ・ファインズ
原作:シェイクスピア著「コリオレイアス」


シェイクスピアの原作を、現代風にアレンジして映像化した作品。
同様の試みをしたものを前にも見ましたが、その時は正直、失敗作だったなという印象だったので、本作もちょっと冒険という気がしましたが、思い切ってレンタル。

【ストーリー】
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主人公マーカスは、ローマにおいて、将軍として国家のために働き、多大な功績を挙げた。
その功績により、執政官に任命されんとするが、マーカスの民衆に対する偏った思想と傲慢な態度が民衆の怒りを買い、執政官になるどころか、国外追放の憂き目にあう。
復讐心に燃えたマーカスは、かつての宿敵である敵国オーフィディアスまで赴き、ローマへ復讐するため、ローマ侵攻に協力することを誓う。
マーカスは敵国の軍を率いてローマへの侵攻を開始する。
優れた軍事的手腕により、ローマ侵攻を着々と進めるマーカス。
マーカスを追放したローマ市民は恐れおののき、マーカスの母親を使者として遣わし、マーカスとローマの和解を成立させる。
和解は成立したものの、マーカスは、敵国オーフィディアスの将軍により裏切り者として処刑されてしまう(完)。

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本作、シェイクスピアの戯曲を、現代を舞台にアレンジし直してはいますが、言い回しや表現などは、おそらくシェイクスピアの作品で使われていた言葉をそのまま取り入れているようです。
そのため、だいぶ大仰な言い回しなんかが目立ちますが、シェイクスピア作品を取り入れたのだと分かっていれば、「シェイクスピア作品は、こんな言い回しをするんだ」と楽しめるのではないでしょうか。

さて、映画は、ローマの偉大なる将軍にして傲岸不遜な主人公マーカスが、敵国オーフィディアスの軍と戦うシーンから。
戦うと言っても、大軍を指揮するというよりは、自ら武器を持って敵の立て籠もる建物に突入し、肉弾戦を繰り広げるという、将軍というよりは軍曹みたいな戦いっぷりではあります(笑)。

見事、戦いに勝利し、ローマ本国に帰還すると、これまでの軍事的功績を称えられ、執政官の地位に推薦されます。
しかし、執政官の地位に就くには、ローマ市民の支持を得る必要があります。
マーカスは、普段より、市民の義務を果たさず権利ばかり主張する態度や、気分次第で態度が変わる世論などが気に入らず、口汚く市民を罵っていたことがアダとなって、最初は、マーカスの執政官就任を支持していた世論が、マーカスの失言をきっかけに批判が噴出、逆に、マーカスは国外追放の憂き目にあってしまいます。

この辺りの展開は、国のために尽くした英雄が、理性的な判断ではなく、その場の空気や感情に流されがちなポピュリズムの犠牲になったということを示唆したいのかなとは思いますが、映画を見ている限りだと、マーカスがポピュリズムの犠牲になったというよりは、マーカス自身に大いに問題があるような気が・・・。

マーカスの思想は、国のために犠牲になることを嫌い、権利を主張する市民を侮蔑しており、貧困に苦しみ、国の食料庫から食料を供出するようデモを行っている市民に対しても、「俺たちがいるから、お前らが共食いせずに済んでいるんだ。感謝されこそすれ、このような暴動を起こすとは何ごとだ。家に帰って、我々に感謝の祈りでも唱えていろ!」と暴言を吐いたりします。

結局、マーカスの言う「国」って何?ということになるわけです。
「国を守るために、犠牲になって当然」と市民に言い放つわけなので、おそらくは、市民は、国の構成員には入っていないと言うことなのでしょう。マーカスにとって「国」とは、マーカスを支持する人々や、権力の上層部にいる貴族たちといったところなのかもしれません。

マーカスは、その力(軍事的才能)をローマの外敵に対して行使したからこそ、ローマにとっては偉大な功績を立てた英雄になりますが、マーカスが、ローマを支配する権力者(執政官)に就任したら、「国=マーカス」の敵は、外敵オーフィディアスだけでなく、マーカスの方針に反対する人々-貧困層の市民になりうる可能性は大いにあり得るわけです。
すると、マーカスはその力を、国外の敵だけでなく、国内の敵-市民に振るう可能性は大いにあり得るわけであり、市民が、マーカスの執政官就任に反対するのは当然と言えば当然、マーカスの失脚・国外追放がポピュリズムの犠牲になったというのは、違うのではないかなと感じました。

さて、失脚し国外追放となったマーカスは、かつての宿敵国オーフィディアスに行き、ローマへの復讐のため、オーフィディアスに協力する旨を申し出ます。
そして、一転、オーフィディアスの軍を率いてローマに侵攻するマーカス。

ローマは、破竹の勢いのマーカスをなだめようと、マーカスの母親を和平交渉の使者として送り込みます。
母親は、シェイクスピア的な(シェイクスピアの戯曲なので当然ですが)言辞を用いて、マーカスのローマに対する復讐を諦めさせようとします。
そして、ついにマーカスは、母親の熱意溢れる弁舌に屈し、ローマとの和平を約束します。

その場にいた、オーフィディアスの将軍も、マーカスと母親のやり取りを見て、一言、「感動した」。
・・・あらら、感動しちゃったよ(笑)。マーカスが、勝手に和平を結んでしまっているのに、感動している場合ではなさそうですが・・・。

しかし、時間が経って冷静になったオーフィディアスの将軍は、ローマとの和平調印の場から戻ってきたマーカスを、裏切り者として捕らえ、処刑してしまうのでした・・・。

普通に考えると、マーカスの行為はオーフィディアスにとって裏切り以外の何者でもないので、こういった結末は当然という感じもします。
マーカスの行動を見ていると、マーカスにもっとも欠けているのは、「自分視点以外の目線」ということになるでしょうか。

ローマ市民に対する侮蔑的な言動も、敵国オーフィディアスに移ってからの行動も、全て、マーカスの視点ですれば正統で正しい行為なのかもしれませんが、対極にいるローマ市民やオーフィディアスにしてみれば、許しがたい行為になるわけです。
言ってみれば、マーカスの正義が、ローマ市民やオーフィディアスの正義とは両立しない、相反する場合があるということなわけですが、マーカスは、そう言ったことには思いも至らないわけです。

第三者的立場から見ていると、そういったマーカスの危うさははっきりと見て取れるのですが、当事者になると、しかも、大きな力を持っていて、自分の正義を常に押し通すことができる立場にいると、正義が立場によって変わるという、正義の多様性ということに思い至らないのでしょう。
まさに権力者が陥りやすい罠に、マーカスは陥っていたというわけです。

本作、テーマを一言で述べると、「復讐と悲劇」になるのではないかと思いますが、シェイクスピアの作品って(と偉そうなことを言ってますが、映画化された作品を、本作含め3本見ただけですが・・・)、「復讐と悲劇」をテーマにした作品が多いなぁと思います。

それだけに、どうしても後味の悪さが残る部分がありますが、その後味が、シェイクスピア作品の魅力なのでしょうか・・・。

【洋画:シェイクスピア作品】 テンペスト

【評価】★★☆☆☆

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2010年/アメリカ
監督:ジュリー・テイモア
主演:ヘレン・ミレン
原作:ウィリアム・シェイクスピア戯曲「テンペスト」


やはり、シェイクスピアの戯曲を映画化した「タイタス」と同じ監督による作品。
「タイタス」は、予想だにしないスプラッターな展開でびっくりしたのですが、この「テンペスト」は果たしてどんな内容でしょうか・・・・。

【ストーリー】
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ミラノ公国の女王プロスペラーは、実弟の裏切りにあい、王位を奪われ、娘と共に、孤島に追放されてしまう。
それから12年後、孤島のそばを、プロスペラーの実弟と、王位簒奪に協力したナポリ王達を乗せた船が通りかかる。
そこで、プロスペラーは魔術を使い、彼らを島に引き寄せることに成功する。
さらに、プロスペラーは、魔術を使い、実弟とナポリ王に恐怖を味あわせ錯乱状態に陥れ、一方、同じ船に同船していたナポリ王の息子と自分の娘を恋に陥らせるのだった。
実弟やナポリ王への復讐を果たしたプロスペラーは、彼らを許し魔術を解く。
そして、プロスペラーは、それにより、ミラノ公国の王位に復権するとともに、プロスペラーの娘とナポリ王の息子は結婚し、両国は婚姻関係で結ばれるのだった(完)。

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「テンペスト」、上述のようにストーリーを書くとたわいないのですが、映画自体もたわいもない展開です(・・・って、身も蓋もないコメントになってしまった)。

映画の出だしは、ナポリ王やミラノ公国の王達が乗った船が、嵐に遭い遭難しそうになるシーンから。
嵐は、ミラノ公国の女王の地位を追われ、孤島に島流しにされた主人公プロスペラーが魔術や妖精を使って引き起こしていたものでした。
この嵐の描写、巨大化した妖精が、船に息を吹きかけたり、つかみかかったり、時には火になって、船に燃え移ったりするという、CGを駆使したものなのですが、なんというか、大昔の特撮技術っていう感じで、とても幼稚な描写になってしまっています。
その後も、妖精が活躍するシーンは、CGが使われるわけですが、概して幼稚な感じになってしまっていて、本作を軽いものにしてしまっている印象があります。

さて、CGの話は、その辺にしておくとして、嵐にあったナポリ王達一行は、主人公プロスペラーが住む孤島へと漂着します。
その後、このナポリ王一行に、主人公プロスペラーは魔術をしかけ、翻弄します。

ただ、主人公プロスペラーの目的は、復讐にありそうだということは分かるものの、具体的に何を狙っているのかは、はっきりとは分からず、話が進むにつれ、さまざまな事象がパズルのピースのように合致していき、最後に、プロスペラーの狙っていることの全体像が明らかになるという展開です。

要は、謎(プロスペラーの目的)が徐々に明らかになっていくという展開に、本映画の面白みがあると言ったところでしょうか。
・・・とは言っても、原作が大昔(シェイクスピアが「テンペスト」を書いたのは1612年頃だそうです、日本で言えば江戸時代初期ですね)に作られたこともあるせいか、例えば、映画「シックスセンス」のように伏線が上手に張られているとはお世辞にも言えず、結構、荒っぽい筋立てです。

まぁ、こればっかりは、昔の作品ですから仕方がないかなと思うものの、映画化するに当たっては、伏線の粗さなどは、もう少し工夫してフォローしても良かったかなと思います。
本作は、この当たりに工夫がないため、古くささや荒っぽさが目立つ作品になっている印象です。

さて、主人公プロスペラーが最初に仕掛けたのは、一人はぐれて漂流したナポリ王の息子-王子に対してです。

ナポリの王子をうまく誘導して、プロスペラーの娘と遭遇させます。
そして、ナポリの王子とプロスペラーの娘は恋に落ちます。

プロスペラーの第一の仕掛けは、ナポリの王子と自分の娘を恋で結びつけることにありました。
まぁ、仕掛けといっても、単に二人を遭遇させただけなのですが(笑)。

次の仕掛けは、自分の失脚に追い込んだナポリ王や現ミラノ公国の王に対する魔術です。
こちらは、プロスペラーが使役する妖精を使って、彼らを恐怖に陥れ、その恐怖が、プロスペラーを失脚に追い込んだことによって起こったと思わせます。

そして、ナポリ王達は錯乱状態に陥って島をさまようことになります。

第二の仕掛けは、自分を失脚に追い込んだナポリ王たちに、その罪を悔いさせること・・・ということになります。

これらの仕掛けを万事上手く行った主人公プロスペラー。

最後の仕上げとして、ナポリの王子と自分の娘、ナポリ王一行、そしてプロスペラーの三者が一堂に会する場面を仕立てます。
これにより、ナポリ王は、プロスペラーをミラノ公国から追放したことを謝罪し、ミラノ公国への復位を約束します。
そして、現・ミラノ公国の王も、ナポリ王の提案に賛同します。
さらに、ナポリ王の息子とプロスペラーの娘は結婚することとなり、ナポリ国とミラノ公国は、婚姻という固い絆で結ばれることとなり、プロスペラーの地位も安泰になる・・・こんな結末です。

うーん、こうやって書いてみると、やっぱり、たいした伏線でもないし、何だか都合の良すぎる展開って感じだなぁ(苦笑)。
もともとは、戯曲-演劇用に書かれている作品なので、演劇として演じられていれば、印象に残る言い回しや、手作り感のある演出などで、面白いのかもしれません。

やはり、演劇用の作品を映画に持ってきてしまっているにもかかわらず、映画に合った演出や展開の工夫の足りなさが、どうも、映画としては冴えない作品に思えてしまいました。

【洋画:シェイクスピア作品】 タイタス(Titus)

【評価】★★☆☆☆

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1999年/アメリカ
監督:ジュリー・テイモア
主演:アンソニー・ホプキンス
原作:シェークスピア「タイタス・アンドロニカス」


古代ローマを舞台にした復讐劇ということなので、どんな内容か全く分からないものの、とりあえずレンタルしてみました。
しかし、こんなにショッキングな内容だったとは・・・。

【ストーリー】
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ローマ帝国の武将タイタスは、長年の戦いの末、ゴート族の征服に成功し、ゴート族の女王、その息子達を捕虜としてローマに引き連れ凱旋する。
そして、凱旋の儀式として、ゴート族の女王の長男の四肢をばらばらにし、その遺体を火にくべてしまう。
その後、ゴート族の女王は、ローマ皇帝の目にとまり、生き残った息子共々、奴隷の身分から解放され、ローマ皇帝の皇后として迎えられる。
皇后としての地位を得たゴート族の女王は、自分の長男を殺したタイタスに復讐をするため、策略を練り始める。
まず、手始めに、皇帝の弟に嫁いでいたタイタスの娘を、女王の息子達に犯させ、娘の舌を引き抜き、両手も切断してしまう。
さらに、皇帝の弟も暗殺し、その罪を、タイタスの息子2人になすりつけてしまう。
また、タイタスには、息子2人の命乞いに腕を切り落として皇帝に差し出せばよいとだまし、タイタスは、片腕を切り落とすはめになるが、結局、息子2人は処刑されてしまう。
タイタスは、娘を乱暴し、息子2人を処刑させ、自身の手を切り落とさせた張本人が女王であることを察知し、女王への復讐を開始する。
タイタスは、生き残った唯一人の息子を征服したゴート族の地に派遣し、兵を集めさせローマを攻める準備を進める。
更に、自分の娘を犯した女王の息子達を捕らえて殺し、その肉をパイ生地に練り込むこととする。
その上で、タイタスは、皇帝と女王に対し、反乱軍を率いた息子との仲裁をするとの名目で自身の邸宅に招き、食事を振る舞うが、その食事は女王の息子の肉を練り込んだパイであった。
タイタスは、食事の場で、女王が行った非道を公表し、それによって汚された娘を皇帝と女王の目の前で殺してみせる。
更に、今度は、女王が食べたパイは、女王の息子の肉で作ったパイであると明かし、衝撃を受ける女王をタイタスは刺殺する。
しかし、タイタスは、怒った皇帝に刺殺されてしまうが、タイタスの息子がその皇帝を殺してしまう。
そして、皇帝を失ったローマでは、タイタスの息子が皇帝の座についたのであった(完)。

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シェークスピアの戯曲を原作とした作品です。
過剰に残虐な復讐劇の連続で、気が滅入るというか鬱な気分になってしまう作品でした。
シェークスピアについてよく知っている訳ではありませんが、こういう残酷な場面だけを売りにしたような作品も書いているんですねぇ・・・。
ちょっと、シェークスピアについての印象が変わりました。

映画の出だしは、台所で少年が兵隊のおもちゃで遊んでいると、窓の外で爆発が起き、外から飛び込んできたタイタスにより救い出されるものの、救い出されて連れてこられた場所は、コロシアムでローマ兵達の観兵式の場だった・・というもの。
その後、この少年が、復讐劇の各場面に立ち会うことで、観察者となって復讐劇の進展を知るというような仕掛けになっています(ただ、後半は、少年も復讐劇の登場人物の一人に組み込まれて、劇中の人物になってしまいますが)。

また、本作は、現代、近代、ローマ時代の衣装、設備などが渾然一体となった設定になっていて、ローマ時代の甲冑を着ているけど、バイクに乗って銃を持っていたり、皇帝の衣装なども現代のモードファッションみたいだったり、はたまたゲームセンターが出てきたりします。
そのため、最初のうちは、どういう時代設定にしているのか(ローマなのか、現代にテーマを設定し直しているのか)が分からず、少々混乱気味で見ていましたが、実は、時代設定に意味は無く、独特な世界観をあえて作り出しているもののようです。

さて、本作の復讐劇のきっかけは、主人公であるローマの武将タイタスが、ゴート族の女王の長男を四肢をばらばらにし、火で焼き尽くすという残酷な方法で処刑したことによります。

その後、ゴート族の女王は、皇帝に見初められ皇后への地位に上り詰めます。そこから、女王によるタイタス一族に対する復讐が開始されるという展開。

まず、手始めに皇帝の弟に嫁いでいたタイタスの娘が、女王の息子達に陵辱され、舌を切り取られ、両手も切り落とされるという残酷な仕打ちが行われます。
映画では、その場面は、直接的な表現ではなされていませんが、舌を切り取られ、両腕を切り落とされたタイタスの娘が、沼地の木にくくりつけられるというシーンが出てきます。

タイタスの娘は、両腕を失い、腕の代わりに木の枝が差し込まれるという姿なのですが、どことなく、オズの魔法使いに出てくるカカシを彷彿とさせます。
残酷な仕打ちと、オズの魔法使いのカカシといったユーモラスな存在を彷彿とさせるギャップとの差が、逆に残酷さを際立たせることとなり、結構、ホラー映画などで残酷さにも見慣れているつもりの自分でしたが、この場面あたりで、かなりげんなりしてきました・・・。

更に、皇帝の弟も女王の息子達によって殺され、その罪は、タイタスの息子2人になすりつけられ、それによって息子2人は逮捕されます。
そして、息子の助命に、タイタスの腕一本が必要とだまされ、自ら腕を切り落とすものの、結局、息子2人は処刑されてしまいます。

精神的・肉体的苦痛をこれでもかとタイタスの上に降り注がせるこの展開、かなり、シェークスピアはサド的な性格とみました!

ここで、ようやく、タイタスは、娘や息子達を傷つけ奪った張本人が女王であると察し、反撃に出ることにします。

ただ、この反撃方法も、女王に輪をかけて残虐で変態的な方法です・・・。
まずは、自分の娘を陵辱した女王の息子達を捕らえ、逆さづりにして、のどをきり、そのまま失血死するまで放置・・・。
そして、死んだ息子をパイ生地に混ぜ込んで、女王に食べさせ、女王に精神的ショックを与えた上で殺すというもの・・・。

こうなると、シェークスピアは、もはや殺し方を楽しんでるとしか思えません・・・。
うーん、シェークスピアの妄想が爆発しちゃっている感があるなぁ。

そして、シェークスピアの妄想は、ラストで大爆発です。
ラストは、タイタスが女王と皇帝を自身の邸宅に招き、食事を振る舞います。
そして食事が済んだところで、自分の娘が受けた仕打ちを皇帝と女王に話し、「汚された娘の名誉を守る」と言って、自らの手で娘の首をへし折り殺してしまいます。

あまりの展開にショックを受けた皇帝は、

皇帝:「タイタスの娘を陵辱した犯人たちをすぐさま捕らえよ!」
と叫びますが、

タイタス:「その心配には及びません。すでに、犯人はパイにして食べていただきました。」
と言って、女王の息子達の生首を食卓に運ばせます。

自分の息子を今し方食べてしまったことを知った女王は、真っ青になり、食べた物を吐き出そうとしますが、

タイタス:「自分の息子を食べた気分は、どうだ!」
と叫んで、タイタス自ら女王を刺殺します。

今度は、それに激怒した皇帝がタイタスを殺すものの、その皇帝もタイタスの息子の中で唯一生き残った長男ルシウスに殺されてしまいます。

・・・最後は、復讐劇に関係した人、ほとんど死んじゃう(殺される)って、シェークスピアもすさまじい結末にしてしまうものです・・・。
唯一、タイタスの長男ルシウスが、次の皇帝の座に就くという終わり方なので、多少、タイタスに救いを残した終わり方なのかもしれませんが・・・。

考えようによっては、復讐の愚かさ-「人を呪わば穴二つ」みたいな教訓が見いだせなくもありませんが、素直に見ると、シェークスピアが、大量殺戮な話を書いてみたかっただけのような気がします。
どうにも、他人のゆがんだ性癖を見せつけられたようで、話としてはかなり後味の悪い作品でした。

ちなみに、本作、ゴート族討伐などが出てくるので、おそらく4世紀から5世紀のローマ帝国(もしくは西ローマ帝国)あたりが舞台ではないかと思いますが、時代設定が話にほとんど影響ないので、あまり時代背景には意味がなさそうです。
映画では、現代劇のような舞台設定にしていたのですが、逆に、ローマ時代ではなく、アレンジし直して、現代の話にしても通用しそうな感じでした。

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